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イノベーションストーリー

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AIR PLANE
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INNOVATION 01

航空機用エンジンシャフトの開発

誰も見たことのない素材を、
世界の空へ。

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Introduction

まだ国産の飛行機が珍しかった1919年、大同特殊鋼は航空機エンジンの部品作りを始めました。品質管理の徹底と技術開発の積み重ねで、現在は世界の航空機メーカーが認める会社に成長しました。その背景には、技術者たちの努力と、お客様との長年の信頼関係があります。

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事業の歩み

利益よりも大切にしたもの

1970年代、日本の航空機産業は大きな転換期を迎えていました。自衛隊向けの部品製造が中心で、生産量も安定しない時代です。そんな中、1976年の3社合併で誕生した大同特殊鋼は、航空機部品の製造を続けるかどうかの判断を迫られました。難易度が高く、品質管理要求も厳しい事業でしたが、長年の取引先との信頼関係を重視して継続を決断。2年後、F-15戦闘機の部品製造の話が来た時も、将来の民間航空機への展開を見据えて引き受けました。「信頼関係があり、難易度が高いが、将来性は必ずある」。当時の決断に関わった関係者は、そう振り返ります。

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技術の成長

世界レベルの品質管理への挑戦

航空機は多くの人命を預かる乗り物。そのため、小さなネジ1本に至るまで、厳しい品質管理基準が求められます。1983年から海外企業との共同開発が始まると、品質管理の基準は一層厳しくなりました。使う設備の登録、作業する人の記録、温度管理の詳しい記録など、今まで以上に細かい管理が必要になったのです。最初は戸惑いもありましたが、この経験が会社の品質管理を大きく向上させ、1985年からは民間航空機のエンジンシャフトも作れるようになりました。現場の経験と勘に頼る部分が多かった製造現場に誰がやっても同じ品質を保証できる仕組みを作り上げたのです。

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新素材開発

未知の領域に踏み出す決断

航空機のエンジンの中心には、高速で回転し推進力を生み出すシャフトが通っています。このエンジンシャフトは、エンジンの心臓部とも言える重要な部品です。1995年、アメリカの航空機エンジンメーカーから画期的な話が舞い込みました。より大きな推力を実現する新しいエンジン用の素材を、一緒に開発してほしいというのです。しかし、どの航空機に使われるかも決まっていない中での開発。成功の保証はなく、莫大な開発費用もかかります。「ぜひとも挑戦し、当社が開発から参画した材料を世界の空に飛ばしたい。その思いは開発に関わる誰もが同じでした」と、当時の技術者は語ります。この思いを大切に、会社は開発を決断。航空機の大型化が進む中で、新しい素材は必ず必要になるはずだと確信していました。

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成果

技術力が生んだブレークスルー

エンジンシャフトには、高速で回転し続けても壊れない強度と、絶対的な信頼性が求められます。そのためには、極めて高い清浄度(不純物の少なさ)を持つ素材が必要でした。当社は、この難題を解決するため、従来とは異なる独自の溶解方法を提案。アメリカ側は最初、実績のない新しい方法に難色を示しましたが、徹底的な実験データで品質の高さを証明し、信頼を勝ち取りました。6年に及ぶ開発の末、2001年、この新素材を使ったエンジンは当時世界一の推力を記録。この技術は現在も世界の空を飛ぶ多くの航空機で活躍しています。

BULLET TRAIN
INNOVATION 02

マンガンクロッシングの開発

新幹線を支える、
唯一無二の素材と技術。

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Introduction

日本の新幹線を支える重要部品の開発に挑戦し続けて100年。素材開発から加工技術まで、独自の技術で安全な走行を支え続けてきた、マンガンクロッシング開発の歴史をご紹介します。

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素材

特殊鋼が支える、新幹線の走り

新幹線の安全を支える重要部品「マンガンクロッシング」。線路が分岐・交差する箇所に使用されるこの部品には、優れた加工硬化性と靭性を持つ高マンガン鋼が用いられています。列車が通過するたびに車輪からの衝撃を受け、その力で表面が硬化して耐久性を増していく—。この特殊な性質を持つ素材で、当社は1921年に日本で初めてマンガンクロッシングの製作に成功して以来、約100年にわたって技術を磨き続けてきました。

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製造の特徴

素材の可能性を極める

マンガンクロッシングの製造には、独特の難しさがありました。加工すればするほど硬くなる高マンガン鋼の特性は、耐久性という点では大きな利点でしたが、製造時には逆に課題となります。当社は、この扱いが難しい素材の加工に、戦前から試行錯誤を重ねてきました。参考にできる前例はなく、熟練技術者たちの経験と、地道な改善の積み重ねが、今日の技術を支えています。

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技術革新

新幹線という大きな挑戦

1964年の東海道新幹線開通は、当社の技術力が試される歴史的な瞬間でした。在来線の倍以上となる時速200kmという高速走行には、それまでにない耐久性が必要でした。特に、線路が交差するクロッシング部分には極めて高い信頼性が求められます。一日に何百本もの列車が行き交い、一本の列車に1000人以上が乗車する新幹線。その安全な走行を支えるため、当社は国鉄(現JR)と共同で、分岐部分を可動式とする画期的な技術を開発し、高速走行可能なクロッシングを実現させました。開通日、無事に走り抜ける新幹線の姿を見て、開発チームの面々は感慨深い思いを胸に抱きました。

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生産革新

伝統と革新の融合

東北新幹線や上越新幹線など、新幹線網の全国展開が計画され、マンガンクロッシングの需要は着実に拡大していきました。より多くの製品を効率的に製造することが求められる中、1977年に「マンガンクロッシング能率向上チーム」を結成。ベテラン技術者の経験を大切にしながら、データに基づく新しい改善手法を取り入れることで、製造時間を半分以下に短縮することに成功しました。2015年には、国内最高速度で列車が分岐可能な国内最長22mのマンガンクロッシング開発にも成功。大きすぎて工場から搬出できないという課題も、工場の壁を一時的に取り外すという発想で乗り越え、設計速度を上回る性能を実現しました。

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開発精神

パイオニアとしての使命

1972年の山陽新幹線から始まり、東北、上越、そして近年の北陸新幹線まで、新幹線向けマンガンクロッシングで100%のシェアを維持してきました。これは、素材への深い理解と加工技術を持つ当社だからこそ成し得た実績です。開発当初、技術者たちは参考文献を探しても、そのほとんどが当社の先輩たちが残した論文だったといいます。誰も経験したことのない課題に向き合うとき、現場では「まず動いてみる」という姿勢で試行錯誤を重ねてきました。もちろん、新幹線の安全を支える重要部品として、慎重な検証の上で一つひとつの改善を積み重ねています。こうして築き上げた技術と現場の知恵が、今日も新たな挑戦の原動力となっているのです。そしてそのDNAは現在マンガンクロッシングの製造・販売を行う「大同キャスティングス」に引き継がれさらなる技術の進化に繋がっております。

PLEASE TURN YOUR DEVICE.